平光清 氏(ひらこうきよし)
元野球審判員[日本]
2011年 8月9日 死去肺がん享年74歳
平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 2011年8月9日)は、日本の元プロ野球審判員、野球解説者。
大学野球、プロ野球選手の経験はない。
通称「先生」「審判先生」。
東京都大田区出身。
経歴=
岐阜県生まれ。
慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。
高校・大学では野球部のマネージャーを務めた。
「早慶六連戦」の時の4年生マネージャーでもある。
1961年に日本通運へ入社。
同社に勤務する傍ら、東京六大学野球連盟などで審判を務めていた。
1965年にセントラル・リーグの審判に採用され、同年4月10日の開幕試合、大洋ホエールズ対国鉄スワローズ戦(川崎球場)に右翼外審として一軍デビューし、4月13日の国鉄対広島カープ戦(明治神宮野球場)では早くも球審を務めるなど1年目からセ・リーグの主力審判として活躍した。
1968年には審判員交流制度によりパシフィック・リーグの審判を務め、1992年に退職するまで通算で3062試合に出場した。
以下の試合で球審を務めた。
1967年10月10日、巨人対広島戦(後楽園球場) ― 巨人の堀内恒夫投手がノーヒットノーランを記録し、かつ自ら3本塁打を打った試合
1975年10月15日、巨人対広島戦(後楽園球場) ― 広島の初のセ・リーグ優勝が決定した試合
1976年6月8日、巨人対阪神タイガース戦(後楽園球場) ― 巨人・末次利光が逆転満塁サヨナラ本塁打を打った試合
1976年10月10日、巨人対阪神戦(後楽園球場) ― 巨人 ……
平光 清氏(ひらこう・きよし=プロ野球元セ・リーグ審判部副部長)9日午後7時47分、肺がんのため東京都内の病院で死去、73歳。東京都出身。故人の希望により葬儀は近親者で済ませた。 日本シリーズに5度、オールスターゲームに7度、歴代14位の通算3061試合に出場。球審を務めた1974年7月9日の大洋(現横浜)−巨人戦(川崎球場)でファウルか死球かの判定をめぐり、当時の川上哲治巨人監督に生涯唯一の退場処分を宣告したことで知られる。 (2011/08/16-17:49)
平光清さんが亡くなってから、13年と105日が経ちました。(4853日)