立川談大 氏(たてかわだんだい)
落語家[日本]
2010年 11月4日 死去くも膜下出血享年37歳
立川 談大(たてかわ だんだい、1974年7月6日 - 2010年11月4日)は、落語家。
落語立川流所属で、死去時は二ツ目。
本名:桜井 達男。
来歴=
1974年7月6日、茨城県出身。
1997年5月、22才の時に七代目立川談志に入門する。
2002年5月、「二ツ目への昇進意欲が感じられない」として、前座5名(立川キウイ、立川志加吾、立川談修、立川談号、立川談吉)と共に破門を言い渡される。
2003年5月、復帰試験が行われたが不合格となる。
2004年1月、立川キウイと共に、一門の新年会席上で再度復帰試験を受ける。
厳しい意見が相次いだが、前座としての復帰という条件を談志が提示。
談志の意を汲んだ立川談四楼・立川志の輔らの後押しにより、前座として一門に復帰する。
2007年7月に立川キウイ、泉水亭錦魚、立川平林、立川吉幸、立川談奈、立川らく里、立川志らべ、立川らく次と共に二ツ目に昇進。
若手落語家として将来が有望視されていたが、2010年10月27日、自宅でくも膜下出血で倒れたところを病院に搬送。
談志を羽田空港まで車で送った後、自宅に戻り異変に気づき自分で救急車を呼んだあと、弟弟子の泉水亭錦魚(現・立川小談志)に電話をかけたところで救急隊員が到着している。
翌月4日、意識は戻らず東京都内の病院にて死去。
師匠である談志は「ああ、談大無念也。
お前は俺の弟子なのだ、バカヤロウ。
」と追悼のコメントを寄せた。
11月14日、日暮里ホテルラングウッドで ……
立川談大さんが亡くなってから、13年と346日が経ちました。(5094日)