クーンラート・ハラタマKoenraad Wolter Gratama
化学者[オランダ]
1888年 1月19日 死去享年58歳
クーンラート・ヴォルテル・ハラタマ(Koenraad Wolter Gratama、1831年4月25日 - 1888年1月19日)は、オランダの化学者で、幕末から明治初めにかけて、長崎および大阪で教え、日本の理化学教育の創始に貢献した。
経歴=
1831年4月25日、オランダ・アッセンに生まれる。
ユトレヒトの国立陸軍軍医学校を卒業後、三等軍医として1年間ナイメーヘンで軍務につき、1853年に母校である軍医学校の理化学教師となった。
その一方で、ユトレヒト大学の医学部、自然科学部に学生として在籍した。
その間に二等軍医に昇格した。
1857年(安政4年)に長崎海軍伝習所に付属して設立された医学伝習所は、1865年(慶応元年)には精得館と改称した。
当時教頭を務めていたアントニウス・ボードウィンは化学の専門家の招聘が必要であることを幕府に建言し、そらが認められて化学教室「分析窮理所」が新設され、クーンラートはその教官として招聘された。
1866年4月16日(慶応2年3月2日)長崎に到着した。
クーンラートは分析窮理所において、実験も含む化学教育を行ったが、西欧の化学者による直接授業はこれが最初であった。
翌年幕府はクーンラートを江戸に呼んで、開成所において本格的な理化学教育を行うことを計画した。
クーンラートは1867年(慶応3年)に長崎を発って江戸に移ったが、まもなく幕府は崩壊、結局江戸では講義をなすことなく終わった。
しかし、明治新政府は後藤象二郎と小松帯刀の建言によ ……
クーンラート・ハラタマが亡くなってから、136年と306日が経過しました。(49980日)