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川本喜八郎 氏(かわもときはちろう)

アニメーション・人形作家[日本]

2010年 8月23日 死去肺炎享年86歳

川本喜八郎 - ウィキペディアより引用

川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年〈大正14年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉8月23日)はアニメーション作家、人形作家。
日本を代表する人形アニメ監督。
多摩美術大学客員教授(2002年~2003年)。
紫綬褒章(1988年受章)。
勲四等旭日小綬章(1995年受章)。
日本アニメーション協会会長(1996年~2010年)。
日本アニメーション協会名誉会長(初代)。
日本人形玩具学会代表委員(2006年~2008年)。
飯田市川本喜八郎人形美術館初代館長(2007年~2010年)。
経歴= 東京都渋谷区千駄ヶ谷出身。
小学校時代から人形を作りはじめていた。
旧制横浜高等工業学校(現在の横浜国立大学工学部)建築学科(中村順平に師事)を卒業後、1946年に東宝撮影所美術部に入社。
1947年、『今ひとたびの』(五所平之助監督)、『戦争と平和』(山本薩夫・亀井文夫共同監督)『女優』(衣笠貞之助監督)に松山崇らをサポートする美術スタッフとして参加するが、まもなく、いわゆる東宝争議に巻き込まれる。
東宝の争議中から、松山崇の誘いで、飯沢匡が編集を担当する「アサヒグラフ」「玉石集」(1953年に単行本として出版された)の人形を使った社会風刺写真制作に関わり、初めてプロとして人形をつくる。
1950年に『暁の脱走』(谷口千吉監督)を最後に東宝を解雇されると、フリーの人形美術家となる。
飯沢匡に見い出されて人形を使った出版物やCM製作などの仕事に取り組むようになる。

川本喜八郎さんが亡くなってから、14年と90日が経ちました。(5204日)