大潮憲司 氏(おおしおけんじ)
元 相撲力士[日本]
(年寄・式守秀五郎)
2024年 5月25日 死去享年77歳
大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4日 - 2024年(令和6年)5月25日)は、福岡県八幡市(現・同県北九州市八幡東区)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。
本名は波多野 兼二(はたの けんじ)。
最高位は東小結(1978年1月場所)。
現役当時の体格は186cm、143kg。
得意手は左四つ、寄り、突き。
大相撲で通算1891回出場の史上1位記録を持つ。
引退後は年寄・式守秀五郎(通称・式秀)を襲名し、1992年(平成4年)から日本相撲協会を停年(定年。
以下同)退職する2013年(平成25年)1月まで式秀部屋の師匠を務めた。
来歴・人物=
幼いころに両親が離婚し下宿屋で貧乏しながら育ち、いわゆる「おばあちゃん子」であった。
中学2年生で身長182.5cm、体重75kgと学校でも頭一つ抜けた体格であった。
当時はバスケットボールで活躍していたが、たまたま出場した相撲大会で優勝して、これがきっかけとなって11代粂川(元前頭1・双ッ龍)の勧誘を受けた。
しかし、当初は映画『土俵の鬼 若ノ花物語』(1956年公開)を見て、相撲界は厳しい世界だと感じていたので「絶対に嫌だ」「冗談じゃない」と拒絶していた。
また女の子にもてたいので飛行機の操縦士になるという夢を持っていた。
それでも、祖母にいい家を建ててあげたいという思いが、相撲界に入ることを決意させた。
12代時津風(元横綱・双葉山)の部屋に正座して入り、挨拶を行った際、かなり緊張していたため2018年 ……
大潮憲司さんが亡くなってから、180日が経ちました。