ダニエル・アラップ・モイ 氏Daniel Toroitich Arap Moi
政治家、元大統領[ケニア]
2020年 2月4日 死去享年97歳
ダニエル・トロイティッチ・アラップ・モイ(スワヒリ語: Daniel Toroitich arap Moi, 1924年9月2日 - 2020年2月4日)は、ケニアの政治家。
1978年10月から2002年12月まで同国大統領(第2代)を務めた。
ケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) 所属。
来歴=
1978年、初代大統領ジョモ・ケニヤッタの死亡に伴い、副大統領から昇格。
KANU一党独裁体制のもと、5選・24年間の長期政権を維持する。
その統治は強権的なものであり、独裁批判の絶えることは無かった。
少数民族カレンジン(Kalenjin)の1グループトゥゲン(Tugen)の出身であり、自民族を優遇しキクユ人等多数派を冷遇。
また反体制派を多数弾圧投獄した。
長期にわたる独裁体制及び政情不安のため、経済が停滞。
そのため不満の声が高まり、1992年に複数政党制を認めざるを得なくなる。
しかし、野党勢力は有力な人物を欠き、統一することができなかったため、民主化後も当選を重ねた。
2002年、高齢のため引退を表明。
後継の大統領候補にウフル・ケニヤッタ(ケニヤッタ初代大統領の息子)を指名するも、与党内からも反発が大きく、選挙ではムワイ・キバキに敗れた。
2020年2月4日早朝に95歳で死去。
ただしウフル・ケニヤッタ大統領が発表した死去した場所については、ケニア西部の自宅とする報道と、ケニアの大手新聞社デイリー・ネーションのナイロビ病院とする報道がある。
人物=
違法取引の象牙の山に、大統領自らが火を点けて燃や ……
ダニエル・アラップ・モイさんが亡くなってから、4年と291日が経ちました。(1752日)