藤井真透(ふじいますき)
道路技術者[日本]
1963年 9月19日 死去享年75歳
藤井 真透(ふじい ますき、1889年(明治22年)1月11日 - 1963年(昭和38年)9月19日)は、日本の道路技術者、内務官僚、政治家。
宮崎県都城市生まれ。
来歴・人物=
1914年(大正3年)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。
同年大阪府庁に入庁。
1916年(大正5年)兵庫県技師。
1917年(大正6年)、明治神宮造営局技師に転任。
折下吉延とともに、明治神宮外苑の銀杏並木道路を手がける。
1922年-1942年、東京帝国大学講師兼務。
道路工学を担当。
1931年からは、日本大学の非常勤講師兼務。
道路および街路工学を担当。
1924年(大正13年)から、内務省土木試験所勤務。
1936年(昭和11年)-1942年まで。
試験所長を務める。
1932年、工学博士。
戦中は都城市に戻り、1945年の一時期、公職追放されるまで、都城市長を務める。
1953年(昭和28年)、日本大学工学部(のち理工学部)土木工学科および大学院教授就任。
1961年(昭和36年)、日本国土開発コンサルタント株式会社社長に就任。
栄典=
1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
藤井真透が亡くなってから、61年と64日が経過しました。(22344日)