フェルディナント・ピエヒ 氏Ferdinand Karl Piëch
実業家、元フォルクスワーゲン会長[オーストリア]
2019年 8月25日 死去享年83歳
フェルディナント・カール・ピエヒ(Ferdinand Karl Piëch,1937年4月17日 - 2019年8月25日)は、オーストリアの技術者、経営者。
ウィーン生まれ。
ポルシェ、アウディで活動の後、フォルクスワーゲンの取締役会会長を経て、2015年4月25日まで、同社監査役会長。
ポルシェの大株主として、またオーストリアにおけるフォルクスワーゲン販売会社の大株主として、両社株式のそれぞれ10 %以上を保有していた。
人物=
母は、名作フォルクスワーゲン・ビートル等を手掛け、戦後ポルシェを創業したフェルディナント・ポルシェの娘、ルイーゼ・ピエヒ。
父はフェルディナントのビジネス・パートナーだった弁護士のアントン・ピエヒ(ドイツ語: Anton Piëch)。
技術者・経営者として精力的に活動するが、性格は風変わりで刺々しく、自動車一族であるポルシェ家の他のメンバーとの関係も良好ではないとされる。
私生活では、4人の女性との間に12人の子供を持つ。
極端なマスコミ嫌いで、華々しく活躍した経営者でありながら大手メディアには殆ど登場しない。
日本で単独インタビューに成功したのは自動車専門誌のカーグラフィック(2000年10月号・2002年4月号)と日刊工業新聞(2001年3月27日付)だけとされている。
経歴=
小学校の2年で母親によりスイス・サンモリッツ山中の寄宿学校に入学させられる。
自伝によればこれは文章の読み書きに関する心理的言語障害によるもので、成人して後も連続して3つ ……
フェルディナント・ピエヒさんが亡くなってから、5年と89日が経ちました。(1915日)