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山本集 氏(やまもとあつむ)

画家[日本]

2011年 12月16日 死去享年72歳

山本 集(やまもと あつむ、1940年7月15日 - 2011年12月16日)は、日本の画家。
奈良県五條市出身。
板前から高校野球の監督、さらにヤクザの組長という異色の経歴を持つ。
来歴・人物= 浪華商業高校では野球部に在籍。
チームメイトに張本勲がいた。
卒業後はいくつもの職を経て板前に転身。
僅か1週間の修行期間ながら店長を任された。
1965年、智辯学園高校の野球部の初代監督に就任。
しごきで選手を鍛えわずか1年で強豪チームを作り上げるが、行き過ぎた暴力指導が問題になり1年半で監督の職を追われる。
なお、山本が退任した年から2年後に智辯学園は甲子園に初出場している。
1967年、関西のヤクザ組織諏訪一家系淡路会に入り頭角を表し、1970年30歳の時に山本組を旗揚げ、組長を襲名。
のちに諏訪一家の若頭補佐に昇格、 関西の武闘派として名を馳せた。
しかし、企業化してゆくヤクザの組織に身の置き所を失い、50歳直前にして浪商野球部で同期である実業家から諭され、1989年に山本組を解散しヤクザの世界から足を洗い、大好きだった富士山等を題材とした絵を多く描く。
代表作『雄渾』は関西国際空港の正面玄関に展示されている。
2003年から映画の賞『DVシネマ大賞』(DVはデジタルビデオの略)をプロデュースしていた。
同年の第1回DVシネマ大賞を田代まさし監督、大学中庸(三代目侠道会会長補佐・森田健介)脚本の『実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バ ……

山本集さんが亡くなってから、12年と341日が経ちました。(4724日)

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