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木下忠司 氏(きのしたちゅうじ)

作曲家[日本]

(兄は映画監督・木下惠介)

2018年 4月30日 死去老衰享年103歳

木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 2018年4月30日)は、日本の作曲家。
兄は映画監督の木下恵介。
兄が監督した映画の音楽を数多く手掛けた。
妻は元音楽プロデューサーでiLabシリーズを販売するパントロン・ワンの創業者である木下美智子(関根光致子)。
来歴= 静岡県浜松市生まれ。
映画監督として有名な木下恵介の弟で、妹に脚本家の楠田芳子がいた。
静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高等学校)を卒業後、1934年に上京し諸井三郎に音楽理論を学び、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)で声楽を学ぶ。
1940年卒業、新交響楽団(現NHK交響楽団)の機関誌『フィルハーモニー』の編集に携わるが、応召して敗戦まで内地および支那で軍隊勤務する。
戦後に復員し、兄の紹介で松竹映画の音楽部員となり同監督の『わが恋せし乙女』(1946年封切)の音楽を担当、1949年の同監督の『破れ太鼓』には自ら俳優として出演し、作曲家を志す若者の役でピアノを弾きながら自ら作った主題歌を歌った。
1951年、同監督で国産カラーフィルムを使って日本で最初に作られた総天然色映画『カルメン故郷に帰る』で同名主題歌の作詞、挿入歌「そばの花咲く」の作詞・作曲を担当した。
1954年、『女の園』と『この広い空のどこかに』(小林正樹監督)の音楽で毎日映画コンクール音楽賞を受賞する。
1957年の恵介監督『喜びも悲しみも幾歳月』の主題歌は映画とともにヒット曲となった。
特 ……

木下忠司さんが亡くなってから、6年と178日が経ちました。(2370日)

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