ハインリッヒ・エドムント・ナウマンHeinrich Edmund Naumann
地質学者[ドイツ]
1927年 2月1日 死去享年74歳
ハインリヒ・エドムント・ナウマン(Heinrich Edmund Naumann、1854年9月11日 - 1927年2月1日)は、ドイツの地質学者。
いわゆるお雇い外国人の一人で、日本における近代地質学の基礎を築くとともに、日本初の本格的な地質図を作成。
またフォッサマグナを発見したことや、ナウマンゾウに名を残すことで知られる。
来歴=
ザクセン王国(現在のドイツ)マイセンで生まれた。
1875年(明治8年)8月17日 - 1885年(明治18年)、明治政府に東京開成学校の金石学・地質学・採鉱学の教師として招聘され、日本に滞在。
東京帝国大学(現:東京大学)地質学教室の初代教授に就任。
地質調査所(現:独立行政法人産業技術総合研究所地質調査総合センター)の設立に関わり、調査責任者として日本列島の地質調査に従事。
日本で初めて象の化石を研究した。
調査は本州、四国、九州と広範囲にわたり、距離は10,000kmに及んだと伝えられている。
また、当時存在した地形図には等高線が記されておらず、海岸線の輪郭が記される伊能図を基に、地形図の作成と並行して地質調査をするという膨大な作業を成し遂げた。
ナウマンは貝塚を2、3発見し、ハインリヒ・フォン・シーボルトの貝塚研究を助けた。
1882年、下僚のオットー・シュミットが彼の妻と関係をもったことに怒り白昼公然と乱闘事件を起こした罪で、裁判で300マルクの罰金刑を受けている。
1884年12月にナウマンの雇用は終了したが半年延長され、1885 ……
ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが亡くなってから、97年と307日が経過しました。(35736日)