谷村孝 氏(たにむらこう)
元男子バレーボール選手[日本]
2017年 9月3日 死去心筋梗塞享年36歳
谷村 孝(たにむら こう、1982年8月15日 - 2017年9月3日)は、日本の元男子バレーボール選手。
来歴=
福岡県飯塚市出身。
筑穂中学1年よりバレーボールを始める。
中央大学在学中の2004年に全日本代表に初選出、同年ワールドリーグに出場した。
2004年にパナソニックパンサーズの内定選手となった。
川村慎二とは同じポジションで助け合いながらプレーしてきて、川村が監督になってからは、計算できるベテランプレーヤーだった。
2015年2月21日の堺ブレイザーズ戦に出場し、通算出場試合数が230試合となり、Vリーグ栄誉賞の受賞資格を得た。
2016年に現役を引退。
2017年9月3日昼、心室細動による急性循環不全により死去。
35歳没。
チームにとっては、近畿総合選手権大会の準決勝(堺戦)に勝ち、決勝(サントリーサンバーズ戦)に臨む前の訃報だった(試合は敗戦)。
清水邦広は「偉大な先輩が35歳の若さで永眠した。
こんな悲しいことはない。
」などと悲しみをつづった。
中央大学とパナソニックでの後輩である福澤達哉は、試合中のベンチに谷村のユニフォームを置き、タイムアウトからコートに戻る時に清水と共にそれに触れて力をもらうのをルーティンとした。
同年度の天皇杯で優勝したとき、福澤は谷村のユニを着て「孝さん、優勝したよ」と叫んだ。
2018年1月18日、地元の福岡県で開催される北九州大会で、ホームチームの堺の協力も得て、パナソニックのブースに谷村 ……
谷村孝さんが亡くなってから、7年と79日が経ちました。(2636日)