物集高量 氏(もずめたかかず)
国文学者、作家[日本]
1985年 10月25日 死去老衰享年107歳
物集 高量(もずめ たかかず、1879年4月3日 - 1985年10月25日)は、国文学者・作家。
「物集 梧水」名義による著作もある。
経歴=
幼少時代=
1879年、国学者の物集高見と夏子(旧姓岩田)の長男として東京市神田区駿河台(東京都千代田区神田駿河台)に生まれた。
同年7月、父が出羽三山の宮司に任命されたため、1882年夏まで山形県東田川郡手向村(現在の鶴岡市)に育つ。
1882年に帰京し、東京市本郷区弓町(東京都文京区本郷)に住んだ。
1883年、父の高見が東京帝国大学講師に就任。
1884年、父の教育方針で4歳9ヶ月にして本郷小学校に入れられるが、第1学年で落第を経験。
1885年2月3日、はしかを患う。
後遺症で骨膜炎となり、終生左脚の自由を失う。
療養期に母や姉から疎んじられ、金食い虫と呼ばれる屈辱に耐える。
この頃、「絵本通俗三国志」「西遊記」「漢楚軍談」などを耽読。
1889年11月、母と姉が相次いで病死。
1891年に継母を迎える。
郁文館中学時代=
脚が悪いため小学校には通わず、私塾で数学、英語、漢文を学んだ。
1893年10月15日、体操の授業を免除する条件で旧制郁文館中学校に入学。
教師の一人に土井晩翠がいた。
私塾からの入学者であったり、身体が不自由であることから、同級生の一人から下校時に突き飛ばされ踏み倒されるといういじめをたびたび受けたが、大きなグループに属しているといじめを受けないということを発見し、仲間を集めて回覧雑誌『木 ……
物集高量さんが亡くなってから、39年と27日が経ちました。(14272日)