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長崎抜天 氏(ながさきばってん)

漫画[日本]

1981年 1月3日 死去享年78歳

長崎 抜天(ながさき ばってん、1904年4月1日 - 1981年1月3日)は、日本の漫画家である。
戦後、ラジオの人気番組『とんち教室』(NHK)でのレギュラー出演で広く知られる。
本名は繁吉(-しげきち)。
人物・来歴[編集] 1904年(明治37年)4月1日、東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に長崎繁吉として生まれる。
「日本近代漫画の祖」と呼ばれる北澤楽天に師事した。
1924年(大正13年)、20歳のころ、日刊新聞「時事新報」(福澤諭吉創刊)に「漫画記者」として入社した。
北澤楽天、保積稲天とともに「三天」と呼ばれた。
子ども向けの漫画『ピー坊物語』や『ソコヌケドンチャン』を連載した。
1949年(昭和24年)1月、NHKラジオで『とんち教室』が放送開始、1969年(昭和44年)の放送終了まで、「長崎生徒」としてレギュラー出演をした。
また1954年(昭和29年)に同番組に取材したコメディ映画『爆笑天国とんち教室』(監督渡辺邦男)を東映東京撮影所が製作、柔道家の石黒敬七らレギュラー陣とともに出演した。
1954年12月14日、「ゆうもあくらぶ」の設立に参加、賛同者は徳川夢声、石黒敬七、石田博英、江崎真澄、水谷八重子、春風亭柳橋、高橋掬太郎、宮田重雄、田河水泡、田村泰次郎、昔々亭桃太郎、榎本健一、松田トシ、並木一路、松内則三、古賀政男、内海突破ら47人。
同日日比谷公会堂で発会式を行った。
長崎はのちに同クラブの理事長を歴任した。
1966年(昭和41年)、 ……

推定関連画像

長崎抜天が亡くなってから、43年と205日が経過しました。(15911日)