レオンティーネ・ザーガンLeontine Sagan
映画監督[オーストリア]
1974年 5月20日 死去享年86歳
レオンティーネ・ザーガン(Leontine Sagan、旧姓シュレジンガー、1889年2月13日 - 1974年5月20日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身の映画監督・演出家・女優である。
経歴=
ブダペストかウィーンで生まれたと考えられている。
当初は舞台芸術を学び、女優・演出家として舞台で働いたのち、一時期は結婚して南アフリカのヨハネスブルグに住んでいた。
長じてマックス・ラインハルトのもとで修行した。
2本の映画を監督し、とくに最初の映画『制服の処女』(1931年)で広く知られている。
『制服の処女』のエンディングはナチスの思想に迎合するように変更され、このおかげでドイツ国内で公開できるようになったが、結局はこの編集版すら国家社会主義体制から「退廃的」であるとして禁止処分を受け、ザーガンは直後にドイツから逃亡することとなった。
『制服の処女』のキャストは全て女性であり、レズビアン表象や教育の場での恋愛描写などの点で映画表現における新境地を切り開いた一方、協力に基づいて利益をシェアしながら映画を製作する経営形態においても革新的であった。
クリスタ・ヴィンスローエの原作『制服の処女』はレズビアン的テーマを明白に含む戯曲である。
これを監督したザーガン本人の性的指向については明らかになっていないところも多いが、「おそらくレズビアンの監督」であるという説が有力であり、女性映画監督に関する書籍Women Film Directorsもザーガンを「レ ……
レオンティーネ・ザーガンが亡くなってから、50年と185日が経過しました。(18448日)