松鶴家千代菊 氏(しょかくやちよきく)
漫才師、松鶴家千代若・千代菊[日本]
1996年 4月29日 死去享年82歳
松鶴家千代若・千代菊(しょかくや ちよわか・ちよきく)は、昭和初期〜平成期に活躍した夫婦漫才コンビ。
生前は落語芸術協会所属。
出囃子は「菖蒲浴衣」。
メンバー=
松鶴家千代若(1908年10月25日 - 2000年6月15日、栃木県大田原出身、本名:安藤定夫)
松鶴家千代菊(1915年1月19日 - 1996年4月29日、東京都浅草出身、本名:安藤ふゆ)
経歴=
『松鶴家』(しょかくや)は上方歌舞伎の『松鶴屋』(しょうかくや)に由来する屋号で、千代若の師匠は初代松鶴家千代八(桜川末子と組んだ千代八は、初代の妻で二代目)。
1922年に千代若が大阪に修行に出て、翌年初代千代八に弟子入りし、松鶴家千代一を名乗る。
一方千代菊は幼くして1924年に川畑勝子の一座で市川豆子の名で日本舞踊で子役で初舞台。
巡業中の1929年、安来節一座にいた千代菊と知り合い、1931年に結婚。
1933年に夫婦漫才コンビを結成。
この頃に千代若と改名する。
松鶴家団之助が戦後間もなく西成山王(通称芸人横丁、てんのじ村)で開いた『団之助芸能社』(芸能マネジメント事務所)に所属し、1939年に上京して浅草を本拠地にした。
上方でも人気を保ち、千日劇場に多く出演した。
高座のみならずラジオやテレビでも永年活躍。
千代若の栃木弁のゆったりとした語りが特徴で、「早くやってよぉ〜!もう帰ろうよ」というセリフは一世を風靡した。
1967年「三河萬歳」で芸術祭奨励賞を受賞。
1975年、紫綬褒章受章。
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松鶴家千代菊さんが亡くなってから、28年と206日が経ちました。(10433日)