清元榮三 氏(きよもとえいぞう)
清元節三味線方[日本]
2016年 12月31日 死去膵臓がん享年81歳
清元 榮三(きよもと えいぞう、1936年2月23日 - 2016年12月31日)は清元節三味線方。
東京都江東区深川出身。
本名、小柳泰一。
父は清元若壽太夫、弟は清元美壽太夫。
重要無形文化財保持者(人間国宝)。
生前は清元協会の理事・副会長などを歴任。
経歴=
1936年2月23日 - 東京都江東区深川に、当時鉄工所を経営していた小柳一郎(後の清元若壽太夫)と、清元の師匠業を営んでいた清元延若福の長男として生れる。
1947年 - 後に師事する清元榮壽郎(当時は三世清元榮次郎)が出演していた『天衣紛上野初花』(浄瑠璃「忍逢春雪解」通称三千歳)を見物し、その三味線の音色に圧倒され榮寿郎の許へ入門を決意するも、義務教育が終わるまでの入門が許されず、中学校在学中に三味線演奏の素地を作るために二世清元國太郎(後の二世清元一壽郎)に入門する。
1951年 - 憧れだった榮壽郎の許へ入門する。
7年間、内弟子として修業。
榮壽郎に教わったのは「北州千歳壽(北州)」の一曲だけだった。
1952年2月23日 - 16歳の誕生日に六世清元延壽太夫より清元榮三の名を許される。
1953年 - 歌舞伎座で、尾上菊五郎劇団上演の「木蓮物語」で初舞台。
1963年 - 師匠榮壽郎が仕事先の京都で急逝。
名古屋西川流二世西川鯉三郎が、名古屋を地盤にした榮壽郎の後継に榮三を指名し、「名古屋をどり」の地方は榮三が晩年まで、弟の美壽太夫と中心になり務めた。
名古屋の芸者衆の「名妓連」の師 ……
清元榮三さんが亡くなってから、7年と325日が経ちました。(2882日)