花房直三郎(はなぶさなおさぶろう)
統計学者[日本]
1921年 10月16日 死去享年65歳
花房 直三郎(はなぶさ なおさぶろう、安政4年11月3日(1857年12月18日) - 大正10年(1921年)4月2日)は、日本の統計学者、内閣官僚。
法学博士。
経歴=
岡山藩士花房端連の三男として岡山に生まれる。
東京に出てドイツ語を学んだ後、太政官御用掛となった。
その後、外務省に転じ、お雇い外国人ヘルマン・ロエスレルの通訳を務め、ロエスレルから法学・経済学を学び、特に統計学の研究に打ち込んだ。
のち伊藤博文の知遇を得、伊藤が枢密院議長のときは枢密院書記官となり、第2次伊藤内閣が成立すると内閣総理大臣秘書官に就任した。
その後、内閣統計局長に昇進し、人口調査の方法に改良を加え、官庁の発行する統計書類の刷新を図った。
1916年(大正5年)に退官。
また、統計局長在任中の1899年(明治32年)、国際統計協会正会員に選出され、1906年(明治39年)にはベルギー中央統計委員に選出された。
1908年(明治41年)、法学博士号を授与された。
1914年(大正3年)にはアメリカ合衆国統計協会名誉会員に推薦された。
統計局長退任後も内閣統計局顧問を務め、1918年(大正7年)12月16日には錦鶏間祗候となった。
1920年(大正8年)に国勢院が新設されると参与を務め、第1回国勢調査の準備にあたった。
また論文を投稿するなど東京統計協会・統計学社の両統計団体に貢献した。
死後、内外の統計関係書及び各種官庁統計資料、明治から大正にかけての和漢書、1870年代から1910年位 ……
花房直三郎が亡くなってから、103年と36日が経過しました。(37657日)