栗城史多 氏(くりきのぶかず)
登山家[日本]
(エベレストを下山中に死去)
2018年 5月21日 死去滑落享年37歳
栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は、日本の登山家。
実業家として個人事務所の株式会社たお代表取締役を務めた。
北海道瀬棚郡今金町出身。
北海道檜山北高等学校 を経て札幌国際大学人文社会学部社会学科を卒業。
よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携した。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた。
エベレストには、頂上からのインターネット生中継 を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。
2012年に西稜ルートから4度目の挑戦をするも強風により敗退。
この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。
2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。
2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した直後の5月21日にキャンプ3から下山中に滑落死した。
35歳没。
経歴=
「元ニート」「元引きこもり」を自称しているが、これはあくまでキャラクター作りのための設定であり、実際にはそのどちらでもない。
「元ニート」を名乗るようになったきっかけは、栗城の全国デビューとなる企画に、『電波少年』で知られる日本テレビプロデューサーの土屋敏男が「ニートのアルピニ ……
栗城史多さんが亡くなってから、6年と184日が経ちました。(2376日)