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セク・トゥーレ 氏Ahmed Sékou Touré

政治家、初代大統領、独裁者[ギニア]

1984年 3月26日 死去心臓疾患享年63歳

セク・トゥーレ - ウィキペディアより引用

アフメド・セク・トゥーレ(フランス語: Ahmed Sékou Touré, 1922年1月9日 - 1984年3月26日)は、フランスから独立したギニア共和国の初代大統領(1958年 - 1984年)。
植民地支配に抵抗した国民的英雄サモリ・トゥーレの曽孫。
生涯= ファラナのマリンケ族に生まれ、郵便労働者として労働組合を基盤に政治に進出し1952年にギニア民主党(PDG)の書記長に就任。
1953年にゼネストを指導して影響力を拡大し1956年にフランス国民議会議員に選出された。
1958年のフランス第五共和政憲法のもとの住民投票で、他の植民地がフランス共同体内の自治共和国となった中で、唯一完全独立を選んだ。
このときトゥーレは、「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」と言ったといわれる。
しかし、フランスはギニアの完全独立を認めることと引き換えに一切の援助を打ち切り、それまで植民地行政官として働いていた白人たちも一切合切をフランス本国に持ち帰った(書類どころか事務机まで持ち去ったという)。
そのためギニアの行政・経済は独立の瞬間に麻痺状態となったため、トゥーレはソ連と手を結ぶ社会主義路線でこの難局を切り抜けようとした。
さらにガーナのクワメ・エンクルマとともにアフリカ諸国連合も結成した。
1967年からは中華人民共和国に接近して人民公社の影響を受けた地方組織が作られ、中国の協力でギニア人民宮殿なども建設された。
同時に政敵および人権論者の抑圧を ……

セク・トゥーレが亡くなってから、40年と240日が経過しました。(14850日)

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