五十嵐一 氏(いがらしひとし)
イスラム研究者[日本]
(小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳)
1991年 7月11日 死去刺殺享年45歳
五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は、日本の中東・イスラーム学者。
井筒俊彦の弟子。
比較文学の学者である五十嵐雅子は妻。
長男の五十嵐中も大学教授である。
十数の言語の読み書きが出来、イスラム思想、数学や医学、ギリシア哲学などを研究していた。
生涯・人物=
新潟県新潟市出身。
新潟大学教育学部附属新潟小学校、新潟県立新潟高等学校を経て、1970年(昭和45年)に東京大学理学部数学科を卒業した。
理数系から人文系に転身し、1976年(昭和51年)に同大学院美学芸術学博士課程を修了した。
同年からイランに留学し、イラン革命が起こった1979年(昭和54年)までイラン王立哲学アカデミー研究員を務めた。
1986年より死去まで助教授として筑波大学に勤務した。
1990年(平成2年)にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を邦訳した。
日本語への翻訳を計画していたイタリア人実業家は、五十嵐に依頼する前に、他の5人の翻訳者から断られていた。
同書は内容がムハンマドを侮辱しているなどとして、イランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニー、 ライース・スィビキにより作者や関係者への死刑宣告がなされており、在日イスラム関係団体から出版見送りの要請がなされたり、出版記者会見の席上でイスラム国家主義者のパキスタン人(事件後、強制送還された)に襲撃されるなど、その翻訳は大きな問題となった。
五十 ……
五十嵐一さんが亡くなってから、33年と134日が経ちました。(12187日)