磯崎洋三 氏(いそざきひろぞう)
元TBS社長[日本]
2004年 8月25日 死去心不全享年72歳
磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉8月25日)は、日本の実業家。
東京放送社長。
茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)出身。
愛称は「イソさん」。
経歴・人物=
早稲田大学第一商学部卒業後、1956年(昭和31年)TBSの前身であるラジオ東京に入社。
プロデューサー・制作局長を務めた居作昌果は入社同期。
『ザ・ガードマン』や山口百恵の『赤いシリーズ』を手掛け、テレビ本部編成局編成部長、第二制作局次長、スポーツ部長、第二制作局長、社会情報局長、テレビ本部編成局長、常務を歴任する。
1991年(平成3年)7月、TBSが野村證券と日興証券から6億5千万円の損失補填を受けていた問題では、news23キャスターの筑紫哲也が田中和泉社長と面談して意見を言う際、重役としてただ一人、その場に立ち会い、田中の辞任表明を受け、10月9日、第8代社長に就任した。
1992年(平成4年)秋の改編期に、視聴率の低落に悩むTBSを抜本的に改革する為、視聴率が安定していた平日19時台の番組(『クイズ100人に聞きました』『わいわいスポーツ塾』『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』など)を大量に打ち切り、『ムーブ』を編成。
『関口宏の東京フレンドパーク』と『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』は好調だったが、その他多数は不調に終わり、改革は失敗に終わった。
1994年(平成6年)から1996年(平成8年)まで日本民間放送連盟会長を務めたほか、社長在任中には伊 ……
磯崎洋三さんが亡くなってから、20年と88日が経ちました。(7393日)