登川誠仁 氏(のぼりかわせいじん)
沖縄民謡歌手[日本]
2013年 3月19日 死去肝不全享年82歳
登川 誠仁(のぼりかわ せいじん、1932年11月18日 - 2013年3月19日)は、兵庫県尼崎市生まれ沖縄県育ちの沖縄民謡を主とする歌手。
三線の名手でもあり、琉球民謡登川流宗家、琉球古典音楽湛水流名誉師範である。
愛称は小柄な体躯から「誠小(セイグヮー)」。
また、早弾きを得意とし、かつてはエレキギターも演奏しており、撥ではなくピックで三線を演奏することから「沖縄のジミヘン」の異名を持つ。
沖縄民謡界の重鎮。
「豊節」「戦後の嘆き」「新デンサー節」「緑の沖縄」など、作詞・作曲を多数手がけている。
歌詞は一貫してウチナーグチにこだわる。
楽器の工夫にも熱心で、三線の弦を2本ずつ6本にした六線やエレキ四味線(よみせん)を開発したり、舞踊に用いられていた打楽器・三板を改良して民謡に取り入れた。
来歴=
1932年10月16日、兵庫県尼崎市に生まれる。
母の「登川ナベ(愛称ナビィ)」が42歳の時に生んだ子どもだった。
父は「宮城亀吉」(那覇出身)で沖縄空手をし酒好きと聞いたが、母や祖母によって育てられたため記憶は一切ない。
生まれてすぐ母と大阪の四貫島へ行き、のちに母の実家がある沖縄県中頭郡美里村の東恩納地区(現うるま市)に戻り、農家に育つ。
登川家は男児が生まれると「盛」「政」「清」という文字を名前に入れ、一門の継承の責任を負わせる沖縄の伝統があった。
それらを受け戸籍名は「盛仁」となったが、「登川」は母方の姓で ……
登川誠仁さんが亡くなってから、11年と247日が経ちました。(4265日)