アーサー・ラーセン 氏Arthur "Art" David Larsen
テニス選手[アメリカ]
2012年 12月7日 死去享年88歳
アーサー・"アート"・デビッド・ラーセン(Arthur "Art" David Larsen, 1925年4月17日 - 2012年12月7日)は、アメリカ・カリフォルニア州ヘイワード出身の男子テニス選手。
1950年の全米選手権男子シングルス優勝者で、1954年の全仏選手権準優勝もある。
左利きの選手で、第2次世界大戦後の全米選手権男子シングルスで初の左利き優勝者になった。
ラーセンのテニスは、ボールの繊細なタッチに大きな特徴があった。
彼は周囲にあるものを“ポンポンと音を立てて触る”(英語:tap)癖があったことから、“Tappy”(タピー)というニックネームで呼ばれた。
「アート・ラーセン」(Art Larsen)の名前で文献に記載されることも多い。
来歴=
アート・ラーセンは第2次世界大戦中、アメリカ陸軍の兵士としてヨーロッパの戦場で働いた。
陸軍を退役してからテニスの競技生活に入ったため、彼のデビュー年齢は23歳と遅く、1948年から全米選手権に出場し始める。
1949年の同大会で、ラーセンはパンチョ・ゴンザレスとの準々決勝に勝ち上がった。
1950年から海外の4大大会にも遠征を開始し、全仏選手権とウィンブルドン選手権の2大会連続でベスト8に入る。
1950年の全米選手権で、ラーセンは準々決勝でトム・ブラウン、準決勝でディック・サビットを破って勝ち進み、初進出の決勝でハーバート・フラムと対戦した。
ラーセンは当時22歳のフラムに 6-3, 4-6, 5-7, 6-4, 6-3 のフルセットで競り勝ち、こうして「第2次世界大戦 ……
アーサー・ラーセンさんが亡くなってから、11年と349日が経ちました。(4367日)