海北友徳(かいほうゆうとく)
絵師[日本]
(弘化4年3月8日没)
1847年 4月22日 死去享年85歳
海北 友徳(かいほう ゆうとく、宝暦13年(1763年) - 弘化4年3月8日(1847年4月22日)は、江戸時代中期から後期にかけての絵師。
海北友松から続く海北派の7代目。
名は照道、友徳は号、通称は斎之祐(助)はじめは斎宮亮。
略歴=
京都出身。
海北派6代目海北友三の子。
新日枝神社蔵の「絵師書上」によると土佐光貞の弟子。
住所は西陣。
寛政度の京都御所造営に伴う障壁画制作に参加した。
現在では余り知られていないが、『平安人物志』文政13年(1830年)版、天保9年(1838年)版にも掲載されるなど、当時は絵師として十分認知された存在だった。
また、春日局に由来する稲葉家との繋がりも保持していたらしく、淀藩から毎年米10俵が支給され、時の藩主・稲葉正諶に扇などを献上している。
墓所は上京区の十念寺。
現存する作品は絵馬が多い。
息子の海北友樵が跡を継いだ。
弟子には一時養子だったこともある堀江友聲がいる。
作品=
作品名
技法
形状・員数
寸法(縦x横cm)
所有者
年代
落款
印章
備考
謡曲白楽天図
1面
今宮神社 (京都市)
1797年(寛政9年)
海北斎宮亮
神功皇后図絵馬
板地金地著色
1面
145x270
今宮神社 (京都市)[1]
1798年(寛政10年)
海北友徳斎謹圖
「照道」朱文方印
三十六歌仙扁額
平野神社
1818年(文政元年)
烏天狗騎猪図
絹本著色
1幅
43.8x54.9
西林寺(京都)[2]
19世紀
友徳
「海北」朱文
西王母・鷹図
衝立1基
浄福寺
猿曳図
衝立1基
寿聖院 ……
海北友徳が亡くなってから、178年と69日が経過しました。(65084日)