芸能人・経営者のおくやみ情報

松下忠洋 氏(まつしたただひろ)

政治家[日本]

(元 国民新党副代表)

2012年 9月10日 死去自殺享年74歳

松下忠洋 - ウィキペディアより引用

松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は、日本の政治家、建設官僚。
内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政民営化担当大臣(野田第2次改造内閣)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第1次改造内閣)、経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(規制改革、男女共同参画、国民生活、栄典などの担当)(第1次小泉内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(5期)、国民新党副代表、同鹿児島県支部代表を歴任。
来歴= 生い立ち= 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現:薩摩川内市)出身。
高城村立高来小学校(現:薩摩川内市立高来小学校)、川内市立川内北中学校(現:薩摩川内市立川内北中学校)、鹿児島県立川内高等学校を経て、京都大学農学部林学科を卒業した。
官界にて= 1962年(昭和37年)、建設省河川局に入省した。
1970年(昭和45年)より、外務省に出向し、経済協力局にて勤務することとなった。
また、1973年(昭和48年)には、インドネシアの公共事業省にて勤務した。
1992年(平成4年)、建設省を退官した。
自民党時代= 1993年(平成5年)7月の第40回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し、旧鹿児島2区にて初当選。
平成研究会(小渕派)に所属した。
小選挙区比例代表並立制の導入により、同じ鹿児島3区を地盤とする宮路和明と ……

松下忠洋さんが亡くなってから、12年と72日が経ちました。(4455日)