榊原政邦(さかきばらまさくに)
越後村上藩主[日本]
1726年 12月7日 死去享年52歳
榊原 政邦(さかきばら まさくに)は、江戸時代前期から中期の大名。
越後村上藩第2代藩主、播磨姫路藩主。
榊原家6代当主。
略歴=
分家の旗本榊原家の榊原勝政(榊原康勝の庶子。
1,000石)の子の榊原勝直(1,000石)の長男として誕生する。
若くして嗣子なく没した榊原本家の政倫の養嗣子となり、越後村上藩を相続、その後に姫路藩に転封となる。
経歴=
1675年(延宝3年) - 生まれる
1683年(天和3年) - 榊原家相続
1704年(宝永元年) - 播磨姫路に国替(5月28日)
1716年(正徳6年) - 男山八幡宮社殿を建て替え新築。
1726年(享保11年) - 死去、享年52
官位位階=
1689年(元禄2年) :従五位下・式部大輔
1692年(元禄5年) :従四位下
1711年(正徳元年):侍従
榊原政邦の墓所=
榊原政邦およびその正室と側室実相院の墓は、兵庫県姫路市の増位山随願寺にある。
政邦と正室の希望によりここに葬られ、また実相院の墓もあり、実相院の墓は夫人病治癒祈願の墓としても祀られている。
政邦夫妻の墓。
政邦の墓。
手前が夫人の墓、奥が政邦の墓。
夫妻の墓の前の石扉。
側室、実相院の墓。
実相院の墓に刻まれた戒名。
系譜=
父母
榊原勝直(実父)
榊原政倫(養父)
正室
鍋島綱茂の養女、鍋島光茂の娘
側室
実相院
子女
(長男)
榊原政祐(次男)
国姫 - 南部利視正室
孝子 - 酒井忠恭正室
青山忠朝正室
水野勝庸正室
榊原政邦が亡くなってから、297年と348日が経過しました。(108827日)