森稔 氏(もりみのる)
森ビル会長[日本]
2012年 3月8日 死去心不全享年79歳
森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3月8日)は、日本の実業家。
森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任。
森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、森ビルの実質的創業者とされる。
人物=
1934年(昭和9年)、京都高等蚕業学校教授・森泰吉郎の次男として京都府に生まれる。
実家は東京・田村町(現在の港区西新橋の一部)で米穀店を営んでおり、副業として貸家経営も行っていた。
湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て、1959年(昭和34年)に東京大学教育学部社会教育学科を卒業。
ジャーナリスト・アメリカ学者の鈴木健次は中学・高校・大学の同級生。
大学卒業後、取締役として森ビルに入社する。
以後、実家近隣の虎ノ門や西新橋を中心に「第5森ビル」といった具合に番号をふった「ナンバービル」を数多く建設したが、地権者との長期にわたる交渉など、事業の陣頭指揮を執った。
学生時代には小説家になることを志していた。
大学在学中、胸膜炎により1年間の自宅療養が必要となったため、自宅の米穀店を4階建ての賃貸ビルに建て替えるにあたっての工事管理や入居者探しを任され、これが後のビル経営の原点となった。
コストや効率性を重視した父・泰吉郎とは対照的に、積極的な事業拡大を打ち出した。
一方で父同様に人付き合いを好み、常に周囲に人がいると評される。
社団法人不動産協会理事、社団法人経済同友会理事、東京都首都移転 ……
六本木ヒルズなど国内外で都市開発を手掛けた森ビル(東京)会長の森稔(もり・みのる)氏が8日午前6時52分、心不全のため死去した。77歳だった。京都市出身。葬儀は近親者のみで執り行った。森ビルが後日、お別れの会を行う予定。森トラスト(東京)の森章社長は実弟。 東大在学中に父親の故・森泰吉郎氏と森ビルの前身である森不動産を設立し、賃貸オフィス事業を展開。泰吉郎氏の死去に伴い、93年1月に森ビル社長に就任した。都市再開発事業に積極的に取り組み、1986年にオフィス、ホテル、住宅、コンサートホールなどから成る複合施設「アークヒルズ」(東京都港区)を開業した。 都心の住宅地を再開発し2003年に開業した「六本木ヒルズ」(同)は、商業施設やオフィス、住宅などの複数の都市機能を統合した都市再生のモデルの一つとして注目を集めた。中国・上海では、地上101階建ての超高層ビル「上海環球金融中心」開発を手掛けた。小泉政権下で政府の総合規制改革会議委員を務めた。
森稔さんが亡くなってから、12年と258日が経ちました。(4641日)