冬柴鉄三 氏(ふゆしばてつぞう)
政治家、元公明党幹事長[日本]
2011年 12月5日 死去肺炎享年75歳
冬柴 鐵三(ふゆしば てつぞう、1936年〈昭和11年〉6月29日 - 2011年〈平成23年〉12月5日)は、日本の政治家、弁護士。
報道などでは冬柴 鉄三とも表記される。
本人サイトや選挙公報などでは冬しば 鉄三とも表記された。
衆議院議員(7期)、公明党幹事長、国土交通大臣(第7・8代)、公明党常任顧問などを歴任した。
概説=
1936年、満洲国の奉天省奉天市に生まれる。
関西大学二部法学部法律学科を卒業後、司法試験に合格し弁護士となった。
1986年、第38回衆議院議員総選挙にて当選し、以降連続7回当選した。
創価学会員であり、国会では公明党に所属した。
細川内閣では自治政務次官に就任した。
その後、公明新党を経て新進党に合流し、同党の解党後は新党平和を経て公明党の結党に参加した。
その間、新党平和幹事長や公明党幹事長を務めた。
第1次安倍内閣では国土交通大臣として初入閣し、観光立国担当大臣と海洋政策担当大臣も兼務する。
第1次安倍改造内閣で留任し、福田康夫内閣で再任された。
2009年の第45回衆議院議員総選挙にて元長野県知事の田中康夫に敗れて落選する。
以降も引き続き公明党の常任顧問を務めた。
2011年11月上旬には、高齢により政界を引退すると報道されたが、11月24日にはこれを撤回。
次期衆院選へ比例区で出馬することとなり、政界復帰に向けた準備を始めた矢先の12月5日午前8時3分、兵庫県尼崎市内の病院で急性肺炎のため死去した(75歳没 ……
元公明党幹事長の冬柴鉄三(ふゆしば・てつぞう)元衆院議員が5日夜、肺炎のため、兵庫県尼崎市内の病院で死去した。75歳だった。中国・瀋陽(旧奉天)生まれ。6日に通夜、7日に告別式を親族のみで執り行う。 1960年に関西大を卒業後、弁護士を開業。86年の衆院選に旧兵庫2区から出馬し初当選、以後連続7期当選した。93年、非自民連立の細川内閣で自治政務次官に就任。98年には、旧新進党解党に伴い公明党系衆院議員で結成された新党平和の幹事長、その後、再結成された公明党の幹事長をそれぞれ務めた。同党幹事長として自民党との連立政権を支え、安倍、福田両内閣で国土交通相に就いた。 2009年衆院選に兵庫8区から出馬したが落選。次期衆院選には出馬せず引退の意向を固めていたが、公明党が「党にとって必要な人」と判断、比例代表へのくら替えで調整していた。(2011/12/06-01:37)
冬柴鉄三さんが亡くなってから、12年と352日が経ちました。(4735日)