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河村順子 氏(かわむらじゅんこ)

童謡歌手[日本]

2007年 1月20日 死去享年83歳

河村順子 - ウィキペディアより引用

河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月27日 - 2007年(平成19年)1月20日)は、日本の童謡歌手。
父は童謡作曲家の河村光陽。
妹もそれぞれ童謡歌手の陽子(1927年11月18日 - 2021年2月7日)、博子(1929年8月9日 - )。
経歴= 東京都小石川区久堅町出身。
1932年(昭和7年)、「かごめかごめ」「お薬とり」でポリドール・レコードからデビュー。
1935年(昭和10年)1月、ポリドール専属となる。
1936年(昭和11年)、キングレコードに移籍し、同年2月、父河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」が大ヒット。
以降父の作曲した「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」、「赤い帽子白い帽子」などがヒットした。
特に、「かもめの水兵さん」については、戦前・戦中の童謡SP盤で一番販売した作品であった。
その後は声楽家の木下保に師事するが、1941年(昭和16年)、音楽学校入学のためキングとの専属を解消し、1944年(昭和19年)、武蔵野音楽学校声楽科に入学。
1946年12月24日、父の光陽が急死し、父の率いていた子鳩会児童合唱団を引き継ぐ。
音楽学校卒業後、歌劇「カルメン」のミカエラ役として再デビュー。
NHK「子供の時間」、ニッポン放送で歌のお姉さんとしてレギュラー出演する傍ら、キング、コロムビア、クラウンなど各社で童謡をレコーディング。
1963年(昭和38年)、オーストリア・ザルツブルクのオルフ研究所へ留学。
帰国後の1966年(昭和41年)からは、千 ……

河村順子さんが亡くなってから、17年と306日が経ちました。(6515日)

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