和光信也 氏(わこうしんや)
物理学者[日本]
(筑波大学名誉教授)
2010年 3月9日 死去間質性肺炎享年73歳
和光 信也(わこう しんや、1938年1月11日 - 2010年3月9日)は、日本の物理学者。
専門は固体物理学で、バンド計算のパイオニア。
学位は、理学博士(東京大学)。
開成中学校・高等学校を経て、東京大学卒業後、東京大学物性研究所勤務・図書館情報大学教授・筑波大学教授を経て、筑波大学名誉教授。
2010年3月9日死去。
叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
人物=
1938年1月11日、神奈川県横浜市出身。
寅年、山羊座、O-型。
1959年、物理学科の学生実験で、電子計算機(パラメトロン計算機:PC1)に触れる。
1962年、物性研究所でFACOM202(PC2)が稼働し始め、修士論文の研究に使う。
金属結晶での電子のポテンシャルについて、粗い近似ではあるが、初めて自己無撞着なバンド計算をおこなった(1965)。
このポテンシャルには固体効果が取り込まれているので、現実的であり、ニッケルのポテンシャルは、表面物性の分野で"Wakoh potential"として重宝がられた。
結晶中での電子のコンプトン・プロフィールを、APW 法を用いて初めて計算をおこなった(1973)。
現在、LDA+U などとして使われている状態依存ポテンシャルの概念を初めて導入した(1973),(1977)。
計算機室に根を生やしていると言われたほどの、自称:元祖コンピュータ・オタク。
テニスとスキーをたしなみ、しばしば、学生とゼミ合宿を供にする。
また、駄洒落を連発する気さくな人柄で知られた。
晩年は、二酸化炭素排出量の削減から、更 ……
和光信也さんが亡くなってから、14年と257日が経ちました。(5371日)