アラン・タネール 氏Alain Tanner
映画監督[スイス]
2022年 9月11日 死去享年94歳
アラン・タネール(Alain Tanner、1929年12月6日 - 2022年9月11日)は、スイスの映画監督。
来歴・人物=
アラン・タネールはジュネーヴ大学で経済学を専攻した。
1951年、のちに映画監督となるクロード・ゴレッタが同大学に設立したばかりのシネクラブに加わった。
大学を卒業し、海運会社でわずかの間働いたのち、彼は映画に惹かれていった。
1955年、英国映画協会に職をみつけ、字幕作成、翻訳、フィルム・アーカイヴの組織の仕事をした。
最初の短篇映画『ピカデリーの夜 Nice Time』は、1957年、クロード・ゴレッタと共同監督によって、ロンドンの「フリー・シネマ」運動の一角として作られた。
この処女作はヴェネツィア国際映画祭で賞を獲得し、たくさんの賞賛の批評を勝ち取った。
タネールは渡仏し、 いくつかの商業映画の助手をしばらくやっていた。
同地では、パリのヌーヴェルヴァーグのもっとも重要な映画作家たちと出逢い、シネマテーク・フランセーズ館長のアンリ・ラングロワとも出逢った。
批評家にはジャン=リュック・ゴダールやロベール・ブレッソンの影響を指摘する者もいるが、パリの映画界の雰囲気は彼を不快にした。
彼はそれを「殺人的(cutthroat)」と描写している。
1960年から1968年にかけて、タネールはスイスに戻って40本以上の映画をつくり、フランス語テレビ(テレヴィジオン・スイス・ロマンド、TSR)のためにドキュメンタリーをつくった。
そのなかには1966 ……
アラン・タネールさんが亡くなってから、2年と71日が経ちました。(802日)