上村雅之 氏(うえむらまさゆき)
技術者[日本]
(「ファミコンの父」と呼ばれた。)
2021年 12月6日 死去享年79歳
上村 雅之(うえむら まさゆき、1943年6月20日 - 2021年12月6日)は、日本の技術者。
任天堂統合開発本部アドバイザー。
任天堂開発第二部部長として「ファミリーコンピュータ」や「スーパーファミコン」などの開発に携わり、2003年から立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。
東京都生まれ。
経歴=
子供の頃はラジオ少年だったが、小学校高学年の頃にテレビという新メディアが登場して心奪われる。
テレビ技術者を志し、1967年に千葉工業大学電子工学部電子工学科を卒業し、早川電機(現・シャープ)に入社。
電子回路の技術者を志しての入社だったが、「これからはコンピュータや半導体の時代だ」といわれ、コンピュータや半導体の技術者としてキャリアを積み始める。
太陽電池の開発を手がけていた際に、当時の取引先の一つに「光線銃シリーズ」を手掛けていた任天堂があり、1971年1月、任天堂に引き抜かれる形で入社(当時、シャープから海外転勤や奈良県天理市への転勤の話があり、任天堂では転勤がない事も決め手の一因となったと語っている)。
「光線銃シリーズ」の延長線上で生まれた「任天堂レジャーシステム」のゲーム機開発、据え置き型ゲーム機「カラーテレビゲーム15」、「ブロック崩し」などの開発に携わり、1979年1月に新設された製造本部開発第二部部長となる。
1981年、ファミコンの開発責任者となる。
開発コスト削減や発売後の初期不良など多くの問題を解決し ……
上村雅之さんが亡くなってから、2年と350日が経ちました。(1081日)