無量塔蔵六 氏(むらたぞうろく)
バイオリン製作者[日本]
2020年 1月30日 死去直腸がん享年94歳
無量塔 蔵六(むらた ぞうろく、本名・村田 昭一郎(むらた しょういちろう)、1927年(昭和2年)3月4日 - 2020年(令和2年)1月30日)は、日本のヴァイオリン製作者。
来歴=
1927年3月4日、東京府荏原郡大井町に生まれる。
旧制獨協中学校に55期生として卒業。
戦時中、徴用逃れに叔父のいる町工場で働き、持ち前の器用さを発揮して鋳造等を行う。
戦後、1947年に京都歌劇団オーケストラに入団、1949年に新橋フロリダ・ダンスホール、米軍陸軍病院将校クラブ専属楽団等に所属するが、戦地から熟練者が帰国したこともあり、下手であるという理由でクビになり、修理・製作に転身する。
1951年にはバンドマンとして生活しながら、ヴァイオリン製作と修理を独学で学び、後にピアノの響板を製作していた木工技師の太田貢から道具の使用法を学ぶ。
1955年、ヴァイオリン製作のために東京工業大学の永廻登研究室にまぎれ込み音響の研究に没頭する。
その後、永廻の後押しもあり、ベルリンのアルフレッド・ライヒトに保証人になってもらい、1962年、西ドイツのバイエルン州にあるミッテンヴァルトの国立ヴァイオリン製作学校へ留学し、1963年、日本人で初めてマイスター国家試験(Geigenbaumeister)の資格を取得し、1964年に帰国する。
1956年、日本手工弦楽器製作者協会(現・日本弦楽器製作者協会)設立時に役員となる。
1968年、日本人初の独逸連邦共和国ヴァイオリン制作者協会会員(Verband Deutscher Geige ……
無量塔蔵六さんが亡くなってから、4年と296日が経ちました。(1757日)