成川揆(なるかわはかる)
海軍少将[日本]
1919年 1月26日 死去享年61歳
成川 揆(なるかわ はかる、安政6年10月20日(1859年11月14日) - 1919年(大正8年)1月26日)は、日本の海軍軍人。
最終階級は海軍少将。
日本海海戦時の仮装巡洋艦「信濃丸」艦長として知られる。
人物=
江戸生まれ。
成川要人の二男。
海軍大学校卒。
1905年(明治38年)の日露戦争における日本海海戦時は仮装巡洋艦「信濃丸」の艦長だったが、哨戒中の五島列島付近でロシア海軍のバルチック艦隊を発見した。
その際に打電した「敵艦隊見ゆ」の一文は有名である。
翌明治39年(1906年)に少将となる。
官歴=
1872年 (明治5年) - 海軍兵学寮入校
1889年(明治22年)7月29日 - 海軍大学校入学(甲号2期)
1890年(明治23年)7月30日 - 海軍大学校卒業
1898年(明治31年)1月22日 - 愛宕艦長
1899年(明治32年)9月29日 - 任 海軍大佐、千代田艦長
1900年(明治33年)
6月7日 - 扶桑艦長
8月6日 - 須磨艦長
9月25日 - 高砂艦長
12月6日 - 台湾総督府海軍幕僚参謀
1901年(明治34年)7月4日 - 台湾総督府海軍幕僚長
1903年(明治36年)
7月7日 - 待命
12月28日 - 金剛艦長
1904年(明治37年)
1月12日 - 金剛艦長
1905年(明治38年)
1月12日 - 日本丸艦長
2月28日 - 待命
3月15日 - 信濃丸艦長
6月14日 - 日本丸艦長 11月4日まで。
1906年(明治39年)11月30日 - 任 海軍少将、予備役
栄典・授章・授賞=
1885年(明治18年)9月16日 - 従七位
1890年(明治23年)12月8日 - 正七位
1895年(明治28年)4月15日 - 従六位
1904年(明治37年)11月18日 - 正五位
参考文献=
『日 ……
成川揆が亡くなってから、105年と300日が経過しました。(38651日)