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五明公男 氏(ごみょうきみお)

元野球指導者・元法政大学野球部監督[日本]

(江川卓らを育て、1976年春からリーグ4連覇)

2019年 3月1日 死去大動脈解離享年77歳

五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月21日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、日本の体育学者、アマチュア野球指導者。
経歴・人物= 1943年(昭和18年)に東京都で生まれるが、太平洋戦争激化の影響により一家で長野県更級郡篠ノ井町(現在の長野市篠ノ井地区)へ疎開し、幼年時代を過ごす。
小学校入学の際に東京へ戻り、大田区立羽田小学校へ入学。
小学校・中学校と野球に熱中する。
中学校3年時に進学先を決める際に、東京都と神奈川県の高等学校をリサーチし、「高校で野球をやるんなら甲子園へ行きたい」と思い、「法政二高の田丸仁監督は素晴らしい指導者であると言うので、ここへ行こう」と思い法政大学第二高等学校への進学を決めたという。
1959年(昭和34年)に法政二高へ進む。
エースとなる柴田勲、三塁手の是久幸彦、外野手の的場祐剛(のち大洋)が同期で、1年下には投手の村上雅則、2年下に外野手の山本泰がいた。
田丸監督の指導を受け、2年生時にチームは1960年(昭和35年)夏の甲子園で優勝を飾るが、この大会では控えにとどまり出場はならなかった。
しかし翌1961年(昭和36年)の春の選抜には右翼手、二番打者として出場。
決勝で高松商を4-0で降し、前年からの夏春連覇を達成する。
同年の夏の選手権でも準決勝に進出。
浪商のエース尾崎行雄と対決するが、延長11回の熱戦の末2-4で敗退している。
甲子園三連覇はならなかったが、チャンスメーカー ……

五明公男さんが亡くなってから、5年と266日が経ちました。(2092日)

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