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芦田淳 氏(あしだじゅん)

ファッションデザイナー[日本]

(皇太子妃時代の美智子皇后の衣装を手掛ける)

2018年 10月20日 死去肺炎享年89歳

芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日)は、日本のファッションデザイナー。
株式会社ジュンアシダ創業者。
上皇后美智子の皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている。
アトランタオリンピック日本選手団の公式ユニフォームや、全日空など有名企業の制服も多数手かげた。
師匠はイラストレーターの中原淳一。
人物・来歴= 1930年、日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもとに生まれる。
本名は淳(あつし)。
8人兄弟の末っ子で、当時、父親は京都府丹後地方の実家から日本統治下の朝鮮に渡り病院を開業していた。
1941年、父親の急逝を受け家族で日本に引き揚げる。
1950年、東都高等学校(現・東京高等学校)卒業。
その後、中原淳一に師事、2年間秘書を務める。
1960年、髙島屋の顧問デザイナー(1975年まで)、帝人の顧問デザイナーに就任。
1963年、有限会社テル工房(現:ジュン アシダ)をオープン、プレタポルテの製作販売を始める。
1966年、当時の皇太子妃美智子の専任デザイナーとなる。
以降、1976年まで10年間務める。
1976年、銀座みゆき通りに、自社ビル店鋪「ブティック・アシダ銀座」をオープン。
1977年、パリ事務所を開設。
1977年から1979年までパリ・コレクションに参加。
1978年、テル工房を株式会社ジュンアシダに変更。
1989年、パリのフォーブル・サントノーレ街にブティック「アシダパリ ……

芦田淳さんが亡くなってから、6年と32日が経ちました。(2224日)

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