パーヴェル・レンネンカンプPaul von Rennenkampf
陸軍軍人、騎兵大将[ロシア]
1918年 4月1日 死去銃殺享年65歳
パーヴェル・カルロヴィチ・レンネンカンプ(ロシア語: Павел Карлович Ренненкампф;ドイツ名:パウル・フォン・レンネンカンプ (Paul von Rennenkampf);1854年4月17日 - 1918年4月1日)は、帝政ロシアの軍人。
騎兵大将。
来歴=
エストリャンド県のバルト・ドイツ人世襲貴族出身。
1870年、ロシア帝国軍に入隊し、ヘルシンキフォルスク歩兵士官学校、参謀本部アカデミー(ロシア語版、英語版)を卒業し、将校となった。
第36アフトゥイル竜騎兵連隊長となったが、公金横領が発覚してシベリアに左遷された。
1900年~1901年の義和団の乱鎮圧の際にザバイカル部隊を指揮して満洲を占領したことで有名となり、ゲオルギー勲章を2度受章した唯一の指揮官となった。
日露戦争時、ザバイカル・コサック師団を指揮し、「勇気に対する」の署名の入った金製武器と剣付き一等聖スタニスラフ勲章を受章した。
奉天会戦の敗北で評価を下げたものの、終戦後第7シベリア軍団長に任命。
1905年、シベリア及び極東でのゼネラル・ストライキ鎮圧のために、ニコライ2世から排他的権限を得て鎮圧に成功し、評価を回復した。
1910年、騎兵大将に昇進し、ヴィレンスク軍管区を指揮。
第一次世界大戦勃発と共に、北西戦線第1軍を指揮。
東プロイセンに侵入しグンビンネン地区で勝利を収めるが、北西戦線の攻撃は無計画なものであり、戦果を確固たるものにすることができなかった。
ドイツ第8軍司令官 ……
パーヴェル・レンネンカンプが亡くなってから、106年と234日が経過しました。(38951日)