マリア・ゲッパート=メイヤーMaria Goeppert-Mayer
物理学者[ドイツ→アメリカ]
1972年 2月20日 死去享年67歳
マリア・ゲッパート=メイヤー(マリーア・ゲッパート=マイアー)(Maria Göppert-Mayer、1906年6月28日 - 1972年2月20日)は、ドイツ生まれのアメリカの物理学者。
人物・生涯=
ドイツ帝国・オーバーシュレジエンのカトヴィッツ(現在のポーランド領カトヴィツェ)に生まれた。
1910年、父フリードリヒ・ゲッパート(ドイツ語版)が小児医科の教授になるため、家族はゲッティンゲンに移住した。
マリアは大学の学生や講師、後のノーベル賞受賞者になる、フェルミやハイゼンベルク、ディラック、パウリらに囲まれて育った。
彼女自身もゲッティンゲン大学に学びボルンらの教えを受けた。
1930年にジョセフ・エドワード・メイヤーと結婚して、夫の国のアメリカに移住した。
夫も物理学者でその専門は統計力学、特に不完全気体の理論で知られる。
1931年から1939年までボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学で働き、1940年から1946年までコロンビア大学の研究員となり、1946年シカゴ大学の講師-准教授となった。
サラ・ローレンス大学で教鞭をとり、シカゴ大学で研究を行い、時にロスアラモス国立研究所も訪れた。
この頃1963年にノーベル賞受賞することになる「魔法数」に関する研究など原子核モデルの研究をおこなった。
また、アルゴンヌ国立研究所の研究員も務めた。
同じ頃同じテーマで研究していたドイツの研究者たちの1人ハンス・イェンセンと"Elementary Theory of Nuclear Shell Structure"を出版した。< ……
マリア・ゲッパート=メイヤーが亡くなってから、52年と275日が経過しました。(19268日)