伊達斉村(だてなりむら)
陸奥仙台藩主[日本]
(寛政8年7月27日没)
1796年 8月29日 死去享年22歳
伊達 斉村(だて なりむら)は、江戸時代後期の大名。
仙台藩8代藩主。
伊達氏24代当主。
官位は従四位下・陸奥守、左近衛権少将。
経歴=
安永3年12月5日(1775年1月6日)、7代藩主・伊達重村の次男として誕生。
母は喜多山美哲(藤蔵)の娘、正操院。
天明3年(1783年)に嗣子となり(兄は早世していたものと思われる)、祝村(ときむら)と名乗る。
父の正室・観心院の養いとなる。
守役は古田良智(舎人)、付役は平賀義雅(蔵人)が勤める。
天明7年(1787年)に元服して11代将軍・徳川家斉の偏諱を受けて斉村と改名し、従四位下、侍従、美作守となる。
寛政2年(1790年)、父・重村の隠居を受けて家督を相続し、陸奥守、左近衛少将となる。
寛政5年(1793年)に関白・鷹司輔平の娘、興姫(後に誠子と改名、光格天皇の従姉)と結婚する。
寛政8年(1796年)には伊達家に不幸が連続する。
同年3月2日に正室の誠子を母として長男・周宗が出生したが、産後の肥立ちが悪く、同年4月16日に誠子が死去する。
同年4月21日に江戸で父が死去する。
斉村も帰国の途中に白河駅で病にかかり、帰国後に仙台城にて同年7月27日(1796年8月29日)に病没した。
享年23。
死亡当時、長男の周宗は乳児、次男の斉宗は出生前といった状況に加え、正式に後継者も決めていなかった。
故に斉村の死去は幕府はおろか藩内にも機密扱いとした上で、同年8月1日に斉村の病気回復が遅れている旨が幕府に報 ……
伊達斉村が亡くなってから、228年と82日が経過しました。(83359日)