錦光山 宗兵衛(きんこうざん そうべい)は、日本の京都で代々続いた京焼(粟田口焼)の陶工。三代の喜兵衛(安兵衛)のとき錦光山と号し、六代からは錦光山を姓とした。京都の粟田口で窯業を営んだ。
錦光山宗兵衛が亡くなってから、97年と38日が経過しました。(35467日)