宮田洋容 氏(みやたようよう)
音曲漫才師、「宮田洋容・布地由起江」[日本]
1983年 7月11日 死去享年69歳
宮田 洋容・布地 由起江(みやたようよう・ふじゆきえ)は、昭和期に活躍した音曲漫才コンビ。
男女コンビではあるが、夫婦ではない。
アコーディオンを持ったミュージカル漫才を考案。
楽団ユーモアと組んで、ピアノなどの伴奏も時折入れてもらっていた。
都上英二・東喜美江、リーガル千太・万吉等と共に戦中戦後と東京漫才で活躍。
メンバー=
宮田 洋容(1915年2月16日 - 1983年7月11日)
本名は岩下 信夫(いわした のぶお)。
熊本県玉名郡三加和町出身。
1929年に熊本工業高校卒業。
ミスワカナの一座を経て1938年から吉本興業専属となる。
1942年より上京し並木一路、日森麗子等のコンビを変えて戦後、布地由起江と組む。
解散後はアメリカ人のミヤタ・フィリップと組んだ。
東京漫才協会(当時会長であったコロムビア・トップ・ライトのコロムビア・トップの漫才協団(現在の漫才協会)とは別組織)の運営委員長であった。
数々の映画に出演しているが、クレジットが「宮田羊容」である作品もあった。
最後の舞台は1983年5月26日神奈川県海老名市で行われた漫才協団主催の「漫才大会」。
布地 由起江(1932年5月6日 - 没年不詳)
本名は長谷川 幸子。
北海道出身。
1952年にコメディアンの小野栄一と同郷で一緒に上京してきたという。
組む前は美人歌手、女優として活躍。
解散後はオペラ漫才コンビ「ふじゆきえ・はなこ」で活動していたが、2006年に引退。
他に ……
宮田洋容が亡くなってから、41年と134日が経過しました。(15109日)