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シド・チャリシー 氏Cyd Charisse

女優、ダンサー[アメリカ]

2008年 6月17日 死去享年87歳

シド・チャリシー - ウィキペディアより引用

シド・チャリシー(Cyd Charisse、1922年3月8日 - 2008年6月17日)はアメリカ合衆国の女優、ダンサーである。
1950年代のハリウッド黄金期にミュージカル映画で活躍し、フレッド・アステアとジーン・ケリーの相手役として知られる。
日本ではシド・チャリシーと表記されることが多いが、発音に近い表記はシド・シャリッシ、シド・シャリッス、あるいはシド・チャリースである。
人物と経歴= デビュー= チャリシー(本名:Tula Ellice Finklea)はテキサス州のアマリロ生まれ。
兄弟からは“Sis”と呼ばれていた。
彼女はロサンゼルスでバレエを学び、その後“Siderova”という芸名でバレエ・リュスに参加した。
第二次世界大戦勃発後、チャリシーはロサンゼルスに戻り、コール・ポーター作のミュージカル映画 Something to Shout About のダンサー役で女優デビュー。
映画の振り付け師が、ジーン・ケリーを見いだした人物であったことから、チャリシーはメトロ・ゴールドウィン・メイヤーでミュージカル映画を専門に手がけるプロデューサー、アーサー・フリードの創作集団「Freed Unit」に参加することになった。
ミュージカル黄金期= 当時のMGMの二枚看板はフレッド・アステアとジーン・ケリーだったが、チャリシーはその二人の相手役をつとめる幸運に恵まれた。
チャリシーが初めてアステアと共演したのは、短編映画『ジーグフェルド・フォリーズ』(1946)。
二度目の共演作『バンド・ワゴン』(1953)ではヒロ ……

シド・チャリシーさんが亡くなってから、16年と157日が経ちました。(6001日)