オットー・ロベルト・フリッシュOtto Robert Frisch
物理学者[オーストリア→イギリス]
1979年 9月22日 死去享年76歳
オットー・ロベルト・フリッシュ(Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日)は、オーストリア出身の物理学者。
1940年、共同研究者のルドルフ・パイエルスと共に、原子爆弾の仕組みについて初めて理論的な説明を与えた。
経歴=
ウィーン時代=
ウィーンでユダヤ人の家系に生まれた。
父は出版業を営んでおり、母はピアニストであった。
叔母は同じく物理学者のリーゼ・マイトナーである。
フリッシュは幼い時から秀才として知られ、特に数学の才能に優れていた。
しかし1922年にウィーン大学に入学すると、周囲に数学の能力に長けていた学生が多く、また紙と鉛筆を相手にするより実際に物を作るほうが性に合っていると感じたことから、物理学を専攻した。
ドイツ時代=
ハンブルク時代の上司オットー・シュテルンと、叔母のリーゼ・マイトナー
大学で1926年に博士号を得て、ドイツの無名の研究所で数年間働いた後、ベルリンの物理技術協会での仕事の依頼を受けた。
この経緯は不明だが、フリッシュ自身は後に、博士論文の指導を受けたカール・プリジブラムの推薦によるものだと推定している。
ベルリン時代は光学部門に属し、新しい明るさの単位の開発に取り組んだ。
一方、ベルリン大学のコロキアムにも参加し、ベルリン時代の最後の年には実験のアシスタントをつとめた。
ベルリンでは叔母マイトナーの近くに住み、一緒にピアノの連弾をしたりコンサートに出かけたりした。
オットー・ロベルト・フリッシュが亡くなってから、45年と61日が経過しました。(16497日)