アルテュール・ド・ゴビノーJoseph Arthur Comte de Gobineau
作家、白人至上主義者[フランス]
1882年 10月13日 死去享年67歳

ジョゼフ・アルテュール・ド・ゴビノー伯爵(Joseph Arthur Comte de Gobineau、1816年7月14日 - 1882年10月13日)は、フランスの文人、外交官。
貴族主義者。
生涯=
オー=ド=セーヌ県ヴィル=ダヴレー出身。
誕生日の7月14日は革命記念日である。
父親は官僚、近衛連隊将校で強硬な君主論者だった。
ゴビノー家がドを付けたのは父親の代からである。
また、「伯爵」は自称であって、正式に授爵されたことはない。
母親アンヌ=ルイーズ・マドレーヌ・ド・ジェルシは王室税務官の娘でサントドミンゴ生まれのクレオール女性であり、ポーリーヌ・ボナパルトの女官を務め、感傷的な長篇小説Marguerite d'Alby(1821年)や回想録Une Vie de femme, liée aux événements de l'époque(1835年)を著した。
ゴビノーは14歳の時、他の男と駆け落ちした母に連れられてスイスで数年間を過ごし、この地で東洋趣味への興味を育んだ。
フランスに戻った当時は七月王政の末期であり、彼は反動主義者の雑誌に連載小説を書いて生計を立てた。
このころアレクシ・ド・トクヴィルと友情を結び、膨大な量の書簡をやり取りした(トクヴィルは第二共和政時代に外務大臣を務めていた頃、ゴビノーを外務省入りさせたことがある)。
ゴビノーは初めペルシアに、次いでブラジルやその他の諸国に赴任し、第二帝政時代に外交官として成功を収めた。
ゴビノーは死の直前、ヴァーグネリアンの聖地たるバイロイトを訪れ、反ユダヤ的なバイ ……
アルテュール・ド・ゴビノーが亡くなってから、142年と115日が経過しました。(51981日)