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田中青坪 氏(たなかせいひょう)

日本画家[日本]

1994年 5月7日 死去心不全享年92歳

東京芸術大学名誉教授、横山大観記念館理事長、日本美術院評議員。明治36(1903)年7月13日、群馬県前橋市に生まれる。本名文雄。東京神田の錦城中学校を3年で中退した後、太平洋画会洋画研究所に学んだが、大正10年に小茂田青樹に師事するようになる。同13年の第11回院展に「子女図」が初入選。簡潔な描写ながら、存在感のある少女と小児を描いた作品であった。その後は、昭和7年の第19回院展まで、毎回入選し、この年に、奥村土牛、小倉遊亀とともに同人に推挙された。同19年には、山本丘人とともに東京美術学校助教授となる。同34年には、東京芸術大学教授となる。また戦後もひきつづき院展に出品をつづけ、同42年の第52回展に出品の「春到」で、文部大臣賞を受けた。本作品は、自然の一角を濃密な描写と色彩でとらえた、情感豊かな扉風(四曲半双)の大作であった。さらに、同49年の第59回展出品の「浅間」からは、浅間山を主題に、スケールの大きい景観と近景の森や自然の対比を巧みに生かした風景画のシリーズを発表しつづけた。同60年の第70回展に出品した「武蔵野」が、院展への最後の出品となった。(参照元・日本美術年鑑 平成7年版)

田中青坪さんが亡くなってから、30年と198日が経ちました。(11156日)

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