アントン・ヴェーベルンAnton von Webern
作曲家、指揮者[オーストリア]
1945年 9月15日 死去享年63歳
アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern, 1883年12月3日 - 1945年9月15日)は、オーストリアの作曲家、指揮者、音楽学者。
ウェーベルンとも書かれる。
シェーンベルクやベルクと並んで新ウィーン楽派の中核メンバーであり、なおかつ20世紀前半の作曲家として最も前衛的な作風を展開した。
このため、生前は顧られる機会がほとんどなかったが、戦後の前衛音楽勃興の中で再評価され、世界的に多くの作曲家に影響を与えた。
生涯=
オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンに生まれる。
ヴェーベルン家はクロアチアなどに領地を所有する貴族の家庭で、正式の名はアントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern)であるが、作曲者自身はミドルネームを公式には使わず、1918年には(おそらく厭戦的な気分やオーストリア帝国崩壊を受けて)、貴族のみに許された"von"を姓から外した。
父親は成功した鉱山技師として、オーストリア帝国各地を転々としており、このためヴェーベルンは少年時代をグラーツやクラーゲンフルトなどに過ごす。
音楽を愛好する家庭環境に育ち、1902年よりウィーン大学でグイード・アドラーに音楽学を師事し、ハインリヒ・イザークの《コラリス・コンスタンティヌス》に関する論文を提出して学位を得た。
古楽のポリフォニー様式への関心が、後のヴェーベルン自身の作風に ……
アントン・ヴェーベルンが亡くなってから、79年と67日が経過しました。(28922日)