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三條美紀 氏(さんじょうみき)

女優[日本]

(旧芸名・三条美紀)

2015年 4月9日 死去鬱血性心不全享年88歳

三條美紀 - ウィキペディアより引用

三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25日 - 2015年〈平成27年〉4月9日)は、日本の女優。
本名:佐藤 幹子(さとう みきこ)。
旧芸名は三条 美紀。
京都府京都市右京区出身。
血液型A型。
父は俳優で大映の部長も務めた佐藤圓治。
娘は元女優の紀比呂子。
オフィスまとば所属。
来歴・人物= 京都で生まれ、日活に所属していた父が日活多摩川撮影所へ移るのを機に上京。
東京都立桜水女子商業学校(現在の東京都立杉並総合高等学校)卒業。
戦時中は、学徒動員により東芝府中工場の経理課で勤務していた。
戦後、大映東京撮影所経理課に勤務していたが、戦後になり大映がスターを発掘する中、永田雅一ら社内上層部の目に留まり演技課へ異動。
1946年に映画『君かと思ひて』で女優デビュー。
1947年、映画『踊子物語』で初主演。
芸名は本名をもじってつけられた。
三益愛子の『母ものシリーズ』をはじめ、若尾文子や山本富士子登場までの大映を支えた。
1952年(昭和27年)1月5日、同1月10日から開催された南米のウルグアイでのウルグァイ国際映画祭に出席のため東京国際空港(羽田空港)を出発、当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で大変貴重なウルグアイ訪問となった。
1954年に大映を退社し、フリーを経て、1955年(昭和30年)に東映に移籍。
1960年代からはテレビドラマに活動の場を拡大し、2時間ドラマにも助演した。
市川崑監督作品の常連であった。

三條美紀さんが亡くなってから、9年と227日が経ちました。(3514日)

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