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玉ノ富士茂 氏(たまのふじしげる)

相撲力士[日本]

2021年 6月21日 死去享年73歳

玉ノ富士 茂(たまのふじ しげる、1949年11月24日 - 2021年6月21日)は、栃木県那須郡小川町出身で片男波部屋所属の元大相撲力士。
本名は大野 茂(旧姓は阿久津)。
身長185cm、体重127kg。
得意手は右四つ、寄り、上手投げ、割り出し。
最高位は東関脇(1978年3月場所 - 7月場所、1979年1月場所 - 3月場所)。
現役引退後は、1987年9月から2010年2月まで片男波部屋の師匠を、2012年2月から2014年4月まで日本相撲協会理事を1期務めた。
来歴= 東京の関東高校でバスケットボールの選手として活躍するも、3年途中で中退して片男波部屋に入門し、1967年5月場所に初土俵を踏む。
序ノ口に付いてすぐに6勝1敗と好成績を残したものの、この成績に不満を感じて相撲に見切りを付けた玉ノ富士は場所直後に部屋を脱走。
自身の将来を案じたこともあって翌1968年に志願して陸上自衛隊に入隊、一等陸士まで昇進し満期除隊した。
その他にも味噌工場、トンネル工事、ビル建設など幾つかのアルバイトを経験した後に師匠・12代片男波(元関脇・玉乃海)の許しを得て片男波部屋に再入門。
1970年9月場所に再び番付外から取り直した。
玉ノ富士の廃業届は1968年5月に一度提出されて受理されており、本来であれば相撲協会の一度離籍した人間の復帰を認めない規定に反するが、当時はおおらかであったため再入門が許されたという。
死去の際には、再入門が認められたのは再入門を認めない詳細な規定が無かったためと解説 ……

玉ノ富士茂さんが亡くなってから、3年と153日が経ちました。(1249日)

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