奥村石蘭(おくむらせきらん)
日本画家[日本]
1895年 2月7日 死去享年62歳
奥村 石蘭(おくむら せきらん、天保5年4月25日(1834年6月2日) - 明治28年(1895年)2月7日)は、日本画家。
人物=
尾張国名古屋(後の愛知県名古屋市白山町)の生まれ。
名は庸。
字(あざな)は可均。
通称は源吾、大助。
別号に知芳園、楓斎、庸堂主人。
尾張藩士の家柄に生まれる。
10歳のとき、野村玉渓の門に入り15年間四条派の画を学び、1855年、京都に出て横山清暉に従い研鑽すること数年で名古屋に帰り、画を業とした。
1883年に小田切春江、葦原眉山、木村金秋と同好社を設立し、大須総見寺に1878年に建設された名古屋博物館で展示即売会を開き、流派を超えて画界の発展を図った。
また多くの門人を養成して盛名があり、国風学校の画学教師として『小学校毛筆画初歩』や『高等小学校毛筆水墨画』を著わすなど、長く名古屋の美術教育会の重鎮であった。
石蘭は、このほか鳥源という雁鍋屋の大横看板も手がけており、それは間口一杯に、空飛ぶ三羽の雁をペンキ塗りで描かれており、それを目当てに多くの人が訪れたという。
墓は、名古屋市千種区極楽寺にある。
門下=
森本秋涯
薮本菜山
伊藤華城
奥村石亭
柳田樵谷
日比野文僊
宮戸松斎
生駒石渓
渡辺杏堂
渡辺秋渓
立松輝石
神戸凌雪
林石華
小寺雲洞
加藤英舟
坂井藍涯
矢吹璋雲
太田百香
服部石仙
河原木鶏
松野松亭
島沢柳亭
水野清亭
波多野一岳
広瀬敬斎
参考文献=
奥村石蘭が亡くなってから、129年と287日が経過しました。(47404日)